移住して、従者

21話「名前」

 この星はチキュウと同じ長さで昼と夜が連なっている。私は何でも良かったのだけれど(実際にそれまでは昼夜の境がなかった)、レイハットを獲得するために昼夜を取り入れたのだ。人間と比べれば、私は眠る必要が殆ど無い。だからチキュウの夜は私には長すぎるのだ。もしもレイハットに出会ったばかりの自分に何か言えるのであれば、『こっそり夜を短く再現した方が良い』と一つアドバイスをする。他にも言いたいことは山ほどあるけれど、まずはそれだけ伝えられれば良いだろう。

 夜は長い。掃除道具などが仕舞われているらしい部屋の扉は、いつのまにか体温が移って生温い。ずっと膝を抱えたままの姿勢を続けていたせいで動きたくなる。私は視線を左の方へ移して、いつも以上に侘びしい空間を見つめた。
 朝には程遠く、常にピカピカに保たれている窓からは白い光が射し込んで、チェック柄の廊下には窓の形がくっきりと浮かんでいる。上だけが楕円の四角い形。低い位置にあるけれど、きっとレイハットがジャンプをしても一番上には届かない。
 夜は少しだけ肌寒くて、一人の存在が際立っていた。早く朝が来れば良いのに。


「――――あの……」
 不意に声をかけられると顔をもたげた。すぐ目の前に立っているらしい人物の膝が目に入る。どうやら眠ってしまったらしい。睡眠をとるのは約四日ぶりのことだった。
「苦情が来ているので退いて頂けますか」
 視線を上げると硬い顔をしたレイハットと目が合った。

「レイハット」
 強ばった顔が更に渋いものになる。やっぱり、レイハットはこんな顔をすることが多い。もっと笑っても良いのに、とさっき夢の中のレイハットに伝えた。夢の中のレイハットは現実のレイハットよりも素直だったので、もちろん綺麗な笑顔を向けてくれた。ただ、親指を真下に向けた握り拳を作った挙げ句、その親指で首を真っ二つにする動作をしてから「地獄に落ちろ」と言っていたけれど。四文字のよく覚えていない地名から来た、と聞いていたけれど、本当はチキュウの魔界というところからやって来たのかもしれない。

「あのね、さっきレイハットが悪魔になったの」
「はあ。そんなことはどうでもいいので移動しませんか」
「今も悪魔みたいだけれどね」
 立ち上がるとスカートを払った。皺になってしまったのでいつもの状態に再現をしてしまう。これで元通り。
「どこに行くの?」

 私が立ち上がると同時に、生温い扉の部屋を開けたレイハットは中へと姿を消した。私は廊下に立ったまま問いかけると閉まりかけていた扉を押さえる。
 部屋に入ったレイハットは海色のバケツを浚うと、壁沿いに並んだ剥き出しの棚から色々なものを取り出して、どんどんバケツの中へ入れていった。
「私はいつも通り業務を進めます」
 その間、レイハットがこちらに顔を向けることはない。
「そう。私は?」
「どこへでも行ってください」
 最後に壁に立てかけられた大きな脚立を肩にかけるとレイハットはようやく私を見た。口角だけ持ち上げた質の悪い笑みを浮かべて。





 私を無視し続けていたレイハットが音を上げたのは、私が彼女の名前を呼んでから、ちょうど六十回目の時だった。
「レイハット♡」
「……いい加減にしてください」
 いつもの少しだけ突き放すような言い方とは違い、今回はそれこそ懇願するような声色だった。困惑と含羞が複雑に混ざりあった表情をこちらに向けると、ようやく三十分間の根気比べが終わる。負けるつもりはなかったが――というよりも、とうに彼女が嫌がっているのであろう気配は感じたが、今回のコレは彼女の方からお願いしてきたことだ。だから、私は悪くない。

「どうして? 貴女が言ってきたことじゃない。あぁ貴女じゃないんだったわね。レイハット♡」
「もう貴女でいいので私に話しかけないでください。もしくは願いを変更――」
「それは駄目」
 恨めしい視線が飛んでくる。まさかこれが嫌だったから別のお願いに変えます、だなんて、都合が良すぎる話だ。私は『名前で呼んでください』というレイハットのお願いをちゃんと叶えている。今日だけでもう六十三回。それに、どうせそれを許したら私は主人をクビにされる。


 缶が蹴られた後、私はいつの間にか地面に膝を打っていた。とても痛かったはずなのに、その痛みが分からないほどの絶望感が心を圧迫して感覚が分からなくなってしまったのだ。拙い動きで振り返ればレイハットは地面に足を着けたあとで、目が合うと途端に不憫そうな顔を向けられたのだと思う。というのも、視界がぐずぐずに滲んでいて分からなかったのだ。
 レイハットはこちらへ歩み寄ると、きょろきょろと辺りを見回した。そうして大げさに溜め息を吐くと、つい直前までの俊敏な動きとは対照的にゆっくりと手を伸ばしてくる。私がそれを見つめたままでいると、レイハットはぶっきらぼうに「ほら」と手を突き出した。

「私の願いを叶えてくれるのでしょう」
「……あなたとはもうおわかれしなきゃなの……?」
 くぐもった声で問いかけると、レイハットは再び溜め息を吐いた。もういいです、と付け足すと私の目の前にしゃがみこむ。
「……貴女、というのを止めてください。私のお願いは以上です」
 だから泣き止んでください、と言われると、私はレイハットを抱きしめた。重い、と文句を言いながらも引き剥がさなかったから、レイハットは優しい。


「昨日の優しいレイハットはどこへ行ったの?」
「いませんよ、そんな私は」
「……やっぱり優しくない?」
 返事はない。レイハットはいつの間にか窓に向き直っていて、黙々と作業を再開していた。
 しばらくして、レイハットが再び沈黙を始めたことに気付くと、私は再び彼女の名前を呼んだ。
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