移住して、従者

十五話「仕瀬から雪崩れて」

「よつぎ様っ」
 朝食を食べ終わって、ベルニカ様を見送り、お盆を厨房に運び終えると、丁度暴走していたらしい水道の餌食になった。幸い肩にかかった程度だったため、ハンカチで拭いてしまえば何ともない。
 しかし事の一部始終を見ていたらしい彼女は、大袈裟に声を張り上げるとツカツカと足音を立ててこちらへ向かってきた。溜め息を押し込みながら振り返ると、レイハットよりもやや背丈の低い仕瀬つかせが首を竦めて私を見上げている。分かりやすい不安の表情に少しだけ厄介な気持ちになった。

「なあに?」
 仕瀬は意を決したように眉をつり上げると「お着替えを」と半ば叫ぶように言う。彼女の声は澄んだように高く、ともすれば消えてしまいそうな儚さがあった。それを自覚しているからか、仕瀬は物事を決める時、いつも必要以上に声を張り上げる。
「必要ないわ、大丈夫よ」
「しかし風邪を引いてしまわれるかもしれません」

 ありがとう、と受け答えして仕瀬を通り過ぎようとすると控えめに袖を掴まれる。振り向くと仕瀬はサッと目を逸らした。ゆっくりとこちらに顔を向き直すと、先程とは正反対のか細い声で呟く。
「あの、私も過剰だとは思っています。でも……よつぎ様なので」
 言い終えると仕瀬は恐る恐ると私を見上げ、そして数秒の後俯いてしまう。そう言われてしまうと峻拒することも出来なくなってしまう。その上、彼女の発言の根本を知ってしまえば殊更に一蹴してしまうのも躊躇われた。

「……ありがとう。でも、本当に肩にかかった程度なの」
 宥めるように言うも、仕瀬は「でも」と食い下がった。もう一度「大丈夫」と繰り返すと黙り込んだが、納得していなさそうな表情で見つめられる。気が弱いのに頑固なのは昔から相変わらず。林檎色の瞳を見つめ返すと、数秒の間を置いて「それよりも」と切り出す。仕瀬は怯んだように眉尻を下げると目だけで私を見上げた。あちらこちらに跳ねた黒い短髪と、その気弱な仕草のせいで仔犬のように見えてしまう。
「『様』は駄目よ。あと敬語も」
 心当たりはあったのか仕瀬はぐぅと唸った。

「どうして……ですか」
「ここではただの侍女だもの。私は主人でも跡継ぎでもないわ」
「……私にとってはずっとご主人様です」
 掴んでいた袖を離すと、仕瀬は拗ねたような声色で黒いシャツの裾を握った。地球では違う立場、服装だったとしても、ココでは同じ立場で同じ服装。黒いシャツの上に同じ色の長いスカート、白いエプロン。とはいえ、仕瀬のスカートは膝にかかる程度のものだが。
「……そうね。じゃあこうしましょう」

 ともすれば泣き出してしまいそうな表情に私が折れることにした。仕瀬の表情から僅かに強張りが取れる。
「皆の前では――――、分かった、分かったわ。じゃあベルニカ様の前でだけは敬語を止めて。これ以上は出来ないわ。そんな顔しても駄ぁ目」
 打開策を出したものの仕瀬はますます機嫌を悪くしたようで、落ち込んだ表情から一転、珍しく怒りを露わにしていた。
「……嫌です」
 ぼそり、と仕瀬が呟く。

「よつぎ様はよつぎ様ですっ、ご主人様ですっ、わたしっ、まだよつぎ様が奉仕するのにも納得いっていないのにっ!」
 わっと堰を切ったように仕瀬の口から言葉が飛び出してくる。
「それにやっぱり危険ですっ。昨晩だって!」
「ベルニカ様なら大丈夫よ。心配ないわ」
 自分でも驚くほど平坦な声が出て、それを聞いた仕瀬は私以上に怯えを見せた。自身の両手を握り込むと、俯きがちに言葉を連ねる。
「ッ……あの、女王は、分からない、です。今は私たちを受け入れているけど、裏では何かがあるのかも……」

 それに、と仕瀬が顔を上げる。目尻に浮かんでいた涙がキラキラと光りながら床へ落ちた。
「今はよつぎ様の言う通り大丈夫なのかもしれません、でも、ベルニカ――様は、あの妹なのでしょう……? あの女王は、怖いです。やっぱり、人間じゃない……!」
「メルフィア様は優しい方よ。酷いことをするようには思えないけれど」
 言うと仕瀬はすぐに首を振った。一瞬息を呑んで、はぁ、と乱れた呼吸を一つする。
「あの、ッ……あの、あの二人と、まともにお話しているのはお二人だけです。一人はよつぎ様。もう一人はあの銀髪の人。だから――――、」
 そこまで言いかけると仕瀬はもう一度フルフルと首を振った。

「ごめんなさい……あの、くれぐれもお気を付けてください。私は、よつぎ様を、お守りします」
 必ず、と言い残した仕瀬の言葉が妙に耳に残った。タタッ、と駆けていく仕瀬を眺めながら、沈黙した頭の片隅で『あの二人』のことを考える。
 一人はベルニカ様。もう一人はメルフィア様。同じ苗字、そしてベルニカ様が彼女のことを「お姉様」と呼ぶからには姉妹なのだろう。しかし、だからといってメルフィア様の能力とベルニカ様の能力の力の差は残酷なまでに歴然としていた。
 一方で星ごと地球を真似てしまう姉であるのなら、鉛筆の一本を再現するのに苦労している妹。姉妹だからといって能力が似通うわけではない、というのは当たり前の話なのだが、仕瀬は――いや、私たち以外はそうも割り切れないようだった。姉が姉であるのなら、妹だって脅威をはらんでいるはずだと、そう言いたいのだ。

 しかしあの二人を知っている立場ではそれに頷くことは難しい。直接メルフィア様に関わったことが無いため、確信を持っているかと問われれば否だが――――しかし、レイハットの愚痴を聞く限り、メルフィア様が危険なことを企てている気配は感じない。寧ろ好意的にすら感じる。
(……どうしましょう)
 パッと思いついたのは一つ。そして迷っている理由は二つ。一つはベルニカ様の邪魔をしてしまう可能性。二つ目はベルニカ様の前だから、もしくは初対面の相手だからと一歩引いた態度になる可能性。そして後者の可能性が非常に高い。
(まあ……いいわ)
 取り敢えずは、危害を加えないという証拠があれば良いのだ。ならば話を聞くだけでも良いし、それに、あわよくば頼み事だってあるわけだ。幸い彼女はレイハットに興味があるようだから、上手くいく可能性はある。

 それに、失敗してもきっと何とかなるはずだ。この世に生を受けて二十年余り、毎日毎日運の悪さを乗り越えて今日がある。だからきっと、今日も大丈夫なはず。
 自分に言い聞かせるように従者館を出ると、案外緊張していることに気が付いた。少しだけ早くなった心臓の音に耳を澄ますと、穏やかな風が頬を撫でた。
Copyright(C) Ikuta Kaoku All rights reserved.
inserted by FC2 system