移住して、従者

十四話「鉛筆転がる静電気」

 食堂の扉に手をかけると、力を加える前に扉が動いた。こちらに向かってくる扉を避けられるはずもなく額に鈍い音が響く。
「あっ……」
 向こう側にいたのはレイハットだった。私に当たった扉を慌てて自分の方へ引き寄せると、身を隠すようにして「ごめんなさい」と表情を強張らせる。

「いえ」
 乱れた髪を整えるとレイハットの促されるままに食堂へ入った。既にたくさんの人が食事を終えている。大人数の話し声に紛れて、普段よりも少しだけ暗いトーンの声でレイハットが呟いた。
「珍しく遅かったから呼びに行こうと思って」
「目覚ましが鳴らなかったの」
「また?」

 珍しく、信じられないといった様子を露わにするレイハットにゆっくりと頷く。もう半分以上が経過した今年こんねん、壊れた目覚ましの数は本日付けで五つを越えようとしていた。ただ、それらは『完全に動かなくなってしまった』個数であって『アラームが鳴らなかった』ものを数えたものではない。幸い体内時計はしっかりとしているため、普段の目覚まし時計は保険として役割されていることが殆どだった。その保険が今日は外れてしまったのだ。
「明日には直っていると思うわ」
「前も同じことを言っていたと思うけど」
「今回は大丈夫」

 流れるままにレイハットに付いていくと喧騒の片隅に行き着いた。カウンターを正面だとするのなら、一番右の列の最後尾。食堂を挟む壁は、腰の高さから上は全面ガラス張りになっている。
 配膳された盆の上には西洋風味の朝食が乗っていた。既に冷めてしまっているスープと長方形に切り分けられたパン、果物。
 向かい側にはフルーツだけが乗っている盆がぽつんと置かれている。りんごはウサギの形にされていた。私の方のリンゴは通常のリンゴだ。特に装飾がされている訳でもなく、工夫がなされているわけでもない、ただのカットリンゴ。
「……何、別にいいでしょ」
 居心地の悪いような表情で呟くとレイハットは視線を逸らした。

「何も言っていないわよ」
 椅子を引いて静かに座る。
「珍しく可愛いことをしていると思っただけで」
 レイハットも遅れて腰を下ろすと小声で答えた。
「ベルニカ様に練習しろって言われてるだけです」
 それまで穏やかだった心情が瞬時に荒れた。心の中が逆撫でされたような心地だ。レイハットを見ると彼女は微かに肩を震わせたあと、無意味に首を振った。「それよりも」と続ける。
「ヨツギが変にこだわるせいで私のハードルも上がってるんだけど。何とかしてよ」
 予想外の言葉に「あら」と零れる。

「拘っているつもりは無いわ」
 本心だった。特に拘っているつもりはない。ただ、少しだけ手を加えてしまうことは事実だった。それでも過剰にならないようには気を付けているつもりだ。
「意識がないだけでしょ」
「そうかしら」
「今度から気を付けて」
「……どうすればいいのかしらね」
「出来るだけシンプルに。アヒルなんか作らなくても大丈夫だから」

 記憶の限り、アヒルなど作ったことはない。内心で反論しながら朝食を口に運んでいく。バターの香りが鼻を抜けると閑散とし始めた食堂に視線を巡らせた。不意にレイハットを目が合う。彼女は怪訝そうな表情をしていた。
「なあに?」
「いや……ベルニカ様は? 今日は一緒じゃないのかと思って」
「……まだ来ていないの?」
 随分遅くなってしまったから既に来ているものだと思っていた。そうでなくとも入れ違いになることが多いから、朝だけは気にしないようにしようと思っていたのに。
 トーストを飲み込むと立ち上がる。

「迎えに行かないと!」
「大丈夫だと思う」
 レイハットは至極冷静に私を見上げるとリンゴを齧った。反論しようと口を開き、それと同時に食堂の扉が開く。
「ほら来た」
 大きな扉を小さな手で押し、開くと、小柄な身体をくぐらせる。肩の辺りまで伸びた白金色の髪が、閉まる扉の風に靡いた。今日はシックな黒のカチューシャ。モノトーンを基調にしたドレスに赤い薔薇がよく映える。作って良かったと、ベルニカ様を見る度に感嘆してしまうのは致し方のないことだろう。ベルニカ様には玄奥な趣があるのだから。

 ベルニカ様は小動物めいたような仕草で辺りを見回していた。ふわふわとした髪が少しだけ乱れてしまう。後で整えなくてはならない使命を感じると、ベルニカ様がこちらに気付く。それまで憂いに満ちていた表情に花が咲いた。
「おに?」
 ベルニカ様はこちらに駆け寄ってくるとレイハットのリンゴを一瞥して呟いた。先日教えた単語をすぐに使う聡明さが光っている。
「ウサギです」
「足はないの?」
「簡易版なので耳しかありません」
「次は足も作ってよ」
「そういうのはヨツギに頼んでください」

 ベルニカ様がこちらを振り向く。金色の硝子玉のような瞳がこちらを見上げた。微笑むと、ベルニカ様は「あのね」と唐突に切り出す。
「今日はお姉さま、お出かけしないんだって」
「あら、良かったですねぇ」
 ベルニカ様の視界の外でレイハットが渋い顔をした。私の視線に気付いてベルニカ様がレイハットを見上げる。そして両腕を伸ばした。
「怖い顔してる」

 両手で無理矢理レイハットの口角を上げると、「お姉さまがまた泣いちゃうよ」と厳しい表情で言った。
「……泣かせてなんていませんよ」
 レイハットはすぐにベルニカ様の手を振りほどいた。そしてこちらを一瞬だけ見てベルニカ様と視線を合わせ直す。
「ベルニカ様、ヨツギの顔も怖いです」
 ベルニカ様がこちらを向く。私はすぐに微笑んだ。
「怒ってるの?」
「いいえ?」
 ベルニカ様がきょとんと目を丸くする。不可思議なものを見るかのような愛らしい顔だった。

「……ヨツギは心配症なんですよ。怒っているわけではなく」
 レイハットが割って入るとベルニカ様は小首を傾げた。
「どういうこと?」
「ベルニカ様のソレ、」
 レイハットが薔薇を指差した。
「レイハット」
 嫌な予感がして遮るとレイハットが薄く嘲笑を浮かべた。人を心底から馬鹿にしているような苛立つ顔だ。
「言って良いことと悪いことの区別くらいつけなさい」
「やって良いことと悪いことの区別をつけてから言ってください」
「心配症なだけよ、貴女の言う通り」
「この星でそんな心配は無用では?」
「備えはあるに越したことがないもの」
「しかしベルニカ様はそれを知らないのでしょう? 同意は取るべきです」

 私たちの顔を交互に見ながらベルニカ様は一連の会話を聞いている。しかしその真意は汲み取れないのか、不審感を滲ませた表情で小首を傾げ続けている。
「どういうこと? 前にも聞いたわ」
 ベルニカ様が私に追及をした。
「ベルニカ様がご心配するようなことではございません」
 ベルニカ様が「そうなの?」と、今度はレイハットを見上げる。
「さあ?」
 レイハットは一度両肩を上げた。

「彼女がそう言うのならそうなんでしょう」
 そうして空になったお盆に両手をかけると、――ベルニカ様が引き止めた。どきり、と心臓が跳ねる。しかし真実を暴かれるというのは杞憂のようだった。
「あのね、これからお姉さまと練習するの。あっ、今度はちゃんと違う場所でやるわ」
 どこか落ち着かない様子で話すベルニカ様は、手遊びをしながら私たちを控えめに見上げる。そして一度深呼吸をすると、真剣な面持ちで開いた両手を天井へ向ける。そうして力を籠めて十数秒。
「――出来たっ!」
 不明瞭なモザイクが細長い影へと変貌し、輪郭を帯び始める。薄い木調が浮かぶソレは、正に課題として出していたものだった。

「まあ」
 思わず声が出ると、ベルニカ様は今しがた再現した鉛筆をレイハットの盆の横に転がした。喜びに満ちた頬は桃に染まり、その場でぴょんぴょんと跳ねて歓喜を露わにしている。レイハットも驚いたように目を丸くすると鉛筆に手を伸ばした。
「……ぃたっ」
 レイハットが手に取った瞬間、静電気のような音が小さく鳴る。カラ、とテーブルに跳ねた鉛筆がこちらに向かってきた。
「……失敗だった?」
 それまでとは一転、ベルニカ様は一気に落ち込んだ様子で目を伏せた。長い睫毛が柔らかい朝の日差しを取り込んでキラキラと輝く。
 レイハットが手をぶらぶらと振るのを見ながら、内心恐る恐ると私も手に取った。……しかし、何もない。

「成功していますよ」
 なにも起きないことを確認するとベルニカ様へ言った。するとベルニカ様はすぐに先程の――否、先程以上に喜ぶ。レイハットは不可思議そうな表情で手を見つめていた。
「調子が悪かったのでは?」
 私が言うと、「ヨツギさんじゃあるまいし。まぁいいや」と呟いて、今度こそ盆を持ってカウンターへと向かった。
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