移住して、従者

十三話「目覚ましが鳴らず」

 ふと意識が浮上すると、微睡みに包まれた思考で微かな焦燥を覚えた。いつも以上に眠った後のような感覚と、普段よりも明るさを感じる瞼の裏。そういえば、目覚ましの音はまだ聞いていなかった。
 嫌な予感が生まれると、すぐに身体を起こしてベッドサイドを見た。焦燥が確信を持って肥大する。目覚ましは、予定時刻を過ぎていてもなお平然と動き続けていた。脚長の棚に腕を伸ばすと謀反を企てた時計を手にとって確認する。時計は六時で鳴るように設定をされていた。されたままなのに、もう五十分近く時計はだんまりを決め込んでいた。その意味を理解すると私は思わず項垂れる。

(今日は駄目)
 ベルニカ様は、生まれも体質も性質も、人間とは少しだけ違う部分がある。見た目は子どものように幼く、中身も見た目相応のもの。私よりも背の低いレイハットよりも更に身長が低く華奢だ。それでも異常なまでに大人びているのだ。以前ベルニカ様の口から聞いた『まだ生まれて四年』だということが本当だとすれば、人間では考えられないくらいには。

 そのことを聞いたのは一年ほど前のことだった。聞いた当初は信じられない気持ちで一杯で、いや、未だに半信半疑だった。しかしベルニカ様が無意味な嘘を吐くとも思えない。それに、見た目通りの年齢であるならば無知すぎる部分があるのも事実だ。やはりベルニカ様の言っていたことは本当なのだろう。
 ただ、その話を聞いたときに酷く後悔をしたのも事実だった。この星、――NAAE21にやって来たのは先月でちょうど二年前。あと三年早くここに来ていれば、生まれた瞬間からそばにいることが出来たのだ。
 先に立たぬ想いを抱えながら私はベッドから降りた。閉め切っていたカーテンを開くと窓もあける。悠長に外の空気を吸いながら、早く身支度をすれば間に合うかもしれない、と考えていた。しかしすぐに一蹴した。ベルニカ様は朝が早かった。そもそもあまり眠らないらしく、夜は殆ど目を閉じているだけの状態らしい。退屈極まりないらしいので出来れば私が付いていたかった。しかし私はベルニカ様と違って人間である。到底無理な話で、ベルニカ様にも拒まれた。ベルニカ様は心優しいお方なのだ。

 ふわり、とレースのカーテンが靡く。それと同時に奇妙な羽音。反射的に身を退けた。判断は正しかった。私は悲鳴を押し殺した。
 ベルニカ様――と、その姉上でいらっしゃるメルフィア様には特別な力がある。色々なものを生み出してしまう恐ろしくもある力。ベルニカ様はまだ力の使い方が不安定であるように見受けられるが、メルフィア様は違う。まるで魔法のように。いとも簡単に建物や街並み、更には気候や私たちが住んでいた地球の状態まで。今のNAAE21は全てメルフィア様の能力の上で成り立っている。気候は常に一定で温度変化が殆ど無い。どちらかといえば涼しい方で、時おり雨を降らしていたり、時おり暑くしてみたり。それらは気まぐれに行われていた。私たちが初めてここに着陸したときのNAAE21は、見たことのない植物が生えた土、そして水たまりのように穏やかな海があっただけなのに。人間が手入れするまでもなくメルフィア様は全て環境を整えた。

 しかし、環境を地球に近付けようするあまり、要らないものまで再現してしまった。いや、正確に言えば要らないものではなく、必要な存在。昆虫だ。私は昆虫があまり好きではない。それはこの星に来てから――再現された昆虫を見てからますます顕著なものになった。もちろん、メルフィア様は地球を知らない。そうすると、想像だけで昆虫を生み出すことになる。結果どうなるか。見た目がとても酷いことになってしまったのだ。
角度によって見た目を変える虹色は確かに美しい。しかし私には受け入れられなかった。
「GyiChoPa」

 カーテンの向こうからやって来たカナブン――に扮した昆虫は、ベッドの上に着陸すると、ノコギリの刃同士を擦り合わせたような奇妙な声を発した。足は左右合わせて八本、もしくは十六本(八本の足の先端は二本に枝分かれしているため、どちらを数えるのが正しいのかは分からない)。頭には短い触覚が二本付いており、先端に黄色い円が突き刺さっている。独特の言語(のようなもの)を発するのはメルフィア様が付与したもので昆虫はだいたい同じような鳴き声を発する。
 カナブンは片方の前足を上げると鳴いた。私も控えめに手を上げた。昆虫といえども、この星の昆虫には知能がある。言語能力がある。意思疎通が少なからず出来る以上、たとえ苦手であろうとも無下に扱うことは出来ない。

 控えめに応えるとカナブンは満足したようで、足を元に戻すと窓の向こうへと去っていった。ブゥン、と頭に残る羽音を残して。私はそれを見送ると姿が見えなくなったところですぐに窓を閉めた。
 クローゼットへ向かうと薄手の和服を脱いで極シンプルなメイド服に着替える。フリルの装飾は白いエプロン含め一切無く無地のもの。頭飾りも着けないため、悪く言えば地味に見えるだろう。他の者は刺繍を足したりフリルを足したり装飾を施しているが、私はすることも、またする気もなかった。そんな時間があるのならば私はベルニカ様に時間を使いたいのだ。ベルニカ様がそうしろ、というのならまた別だが。
 エプロンの紐を結ぶと、螺鈿細工の小箱を開いた。長い紐でくくってある部屋の鍵を取り出すとクローゼットを閉めて、身支度をして、部屋を出る。時刻は七時三十分を回っていた。
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